Vol.12

「消える魔球」の正体をスパコンで解明!

東京工業大学
学術国際情報センター副センター長(先端研究担当)/教授
青木 尊之 研究者紹介

野球の醍醐味の一つは投手と打者の駆け引きです。その主役は、投手たちが編み出してきたさまざまな変化球ですが、なぜ変化するのかはあまり解明されていません。特に、フォークボールがなぜ打者の手元で鋭く落ちるのかについては、定説があるものの、きちんとした裏付けはありませんでした。そこで、青木さんを研究代表者とする東京工業大学、九州大学、慶應義塾大学の共同研究チームは、「落ちるメカニズム」の解明にスーパーコンピュータ(スパコン)で挑み、これまで知られていなかったメカニズムを発見しました。

フォークボールは重力の働きで落ちる? Does Forkball Fall Due to the Action of Gravity?

日本で初めてフォークボールを投げたのは元中日ドラゴンズの杉下茂投手で、今から約70年前のことです。落差が大きく、打者の視界から消えるように感じることから「消える魔球」と呼ばれ、一世を風靡しました。その後も、数々の名投手がフォークボールを、打者と対峙する際の切り札に使ってきました。 「長年フォークボールが急速に落ちる理由は、重力だといわれてきました。しかし、私は重力以外にも要因があるはずだと思い続けてきました」と青木さんは振り返ります。青木さんが率いる研究チーム写真1は、2020年4月から流体力学シミュレーションによるフォークボールの研究に取り組み始めました。

通常、投げたボールは重力に従い放物線を描いて落下しますが、投手が投げるストレート(直球)は、まっすぐに飛んでいきます。理由は、ボールに「マグヌス効果」が働いているからです。投手はストレートを投げる際、ボールに強いバックスピンをかけます。バックスピンとは、ボールの上側が、ボールが進む方向とは逆方向に回転することです。

飛んでいるボールの周囲の空気にはボールに沿って流れる層(境界層)がありますが、それが途中でボールの表面から剥離することでボールの後方に乱れた状態(乱流)が生じます。図1のように、バックスピンのかかったボールの場合、ボールの上側では空気の流れがボールの回転に引きずられ、ボールに沿って流れる層が剥離する場所が後ろにずれていきます。逆に、ボールの下側ではボールの回転と周囲の流れが対抗するために剥離する場所が前にずれていきます。その結果、ボールの後方の空気の流れは下向きに偏ります。この作用によりボールには上向きの力が加わり、重力による下向きの力を弱くする働きをします。このように、回転しながら進む物体に、その進行方向に対して垂直の力(揚力)が働く現象を「マグヌス効果」と呼びます。マグヌス効果は物体の回転数が多いほど大きくなります。つまり、バックスピンの強くかかったボールはマグヌス効果によって浮き上がるストレートになるのです。

一方、フォークボールの場合、投手はボールにできるだけ回転を与えないようにして投げます。それによりマグヌス効果は小さくなり、重力の影響をより強く受けるようになるため、バットの手前で急速に落ちると考えられてきたのです。

写真1変化球の解明に取り組んできた研究チーム

後列左から、渡辺勢也さん(九州大学応用力学研究所 助教)、小林宏充さん(慶應義塾大学法学部 教授)イン イクイさん(東京工業大学大学院修士課程2年)。前列が青木さん。右下円内は大橋遼河さん(東京工業大学大学院修士課程を2021年に修了)。

図1バックスピンのかかったボールに働くマグヌス効果

右から左へと進むボールを横から見たところ。マグヌス効果が重力による下向きの力を弱くする。

ボールの縫い目まで含めた流体シミュレーションを実施 Flow Simulation around a Ball with Seams

この通説に疑問を抱き続けていた青木さんが着目したのは、ボールの縫い目でした。「野球のボールの表面には高さわずか0.9 mmの縫い目があります。この縫い目が空気の流れに影響を及ぼしていることは以前から知られていました。しかし、実際にボールにどのような影響を及ぼすのかはよく分かっていませんでした。ボールが高速に回転しているため、縫い目の位置は刻々と変わります。高度な計算技術と計算能力を備えたスパコンを使わないと、縫い目がボールに与える影響を評価することは不可能だったからです」

しかし、近年、スパコンの性能が格段に向上しました。さらに、青木さんたちはそうしたスパコンの能力を活かして最先端の流体計算を行う手法を開発し、成果をあげてきました。一方、計測装置の発展により、投手が投げるボールの速度や回転数、軌道の落差といった細かいデータが計測できるようになり、メジャーリーグがそのデータを公表するようになりました。それにより、スパコンによるシミュレーション結果と実際のデータとの比較や検証ができるようになったのです。

実は、ストレートとフォークボールではボールの縫い目の向きが異なり、ストレートをバッター側から見ると、ボールが1回転するたびに縫い目が4回現れる一方、フォークボールでは、縫い目は2回しか現れません図2。そのため、ストレートの回転は「フォーシーム回転」(4つの縫い目)、フォークボールの回転は「ツーシーム回転」(2つの縫い目)と呼ばれています。

図2フォーシーム回転とツーシーム回転

青木さんたちは、東京工業大学のGPUスパコン「TSUBAME3.0」を使い、フォーシーム回転とツーシーム回転ではボールの落ち方にどのような差が出るのかを確かめました。数値計算には、乱流計算を行うのに最適な「cumulant型格子ボルツマン法」を使いました。球速とボールの回転数はフォーシーム回転とツーシーム回転で同じ値を設定。そして、ボール周囲の空間を約3億7000万個の格子で区切り、どのような空気の流れが発生し、その流れがボールにどのような影響を及ぼすのかをシミュレーションしたのです。

シミュレーション・コードは、青木研究室の出身者で、現在は九州大学助教の渡辺勢也さんが中心となって開発しました。「当初、投手がボールを投げて捕手に到達するまでをシミュレーションするのに、TSUBAME3.0をもってしても200日を要する計算量となってしまいました。そこで、並列分散処理の効率化を図ったり無駄な格子を減らしたりといった工夫を施すことで約1週間に短縮することに成功しました」と、渡辺さんは開発の苦労を振り返ります。

「負のマグヌス効果」の発見 Discovery of the “Negative Magnus Effect”

この研究で得られたシミュレーション結果は以下の通りです。

まず、フォーシーム回転の場合、縫い目が上にくるたびにボールの表面から剥離する境界層の位置が後ろにずれ、逆に、ボールの下側では、境界層が剥離する位置が縫い目の現れによって前に引っ張られていることが確認されました。揚力も常にプラスでした。つまり、縫い目が上で述べたマグヌス効果を助長することに寄与していることが確認されたのです。

スクロールアニメ1ツーシームのシミュレーション
(球速:150km/h、回転数:1100rpm)
(スクロールすると動きます。シミュレーション動画は、富岳百景Vol.12のYouTube動画にも登場します)

一方、ツーシーム回転の場合スクロールアニメ1図3縫い目が上にきたとき、上側ではフォーシームと同様、境界層が剥離しにくくなりボールの後方に下向きの流れが発生することが確認されました。ところが、ボールのピッチャー側に縫い目のないツルツルの部分がきたときには、ボールの後方の空気の流れが上向きに変化しました。そして、縫い目が上にきたとき、再び下向きの流れに変化したのです。ボールの後方の空気の流れが上向きになると、ボールには揚力とは逆向きの力がかかると考えられます。

そこで、当時、青木研究室で修士課程2年だった大橋遼河さんと乱流の解析を専門とする慶應義塾大学教授の小林宏充さんは、青木さんの研究室の人たちとともにシミュレーションによって得られた大量の画像を詳細に解析し、その結果、フォーシーム回転では揚力が常にプラスだったのに対し、ツーシーム回転では図3のように、揚力がマイナスに働いている箇所があることを発見しました。ツーシームのボールの縫い目の角度が-30度から90度の範囲の時に、揚力とは逆向きの力がかかっていることを突き止めたのです。

実は、ツルツルの球では、表面に沿って流れる層の中が乱流になると、揚力として働く『正のマグヌス効果』とは逆向きの『負のマグヌス効果』が発生することが知られています。「ツーシーム回転でも、ツルツルの面で負のマグヌス効果が発生しているのではないかと、大橋君が指摘していました」と青木さんは振り返ります。計算と解析の結果、ツーシーム回転のフォークボールは、重力だけでなく、負のマグヌス効果という要因も加わることで鋭く落ちているということが判明したわけです。しかも、ボールの速度と回転数を同じ値に設定した場合、フォーシーム回転に比べてツーシーム回転のほうがホームベース上で約19 cmも低く落ちるという結果が得られました。

「これは縫い目がボールに与える影響の大きさが実感できる結果でした。野球ボールで負のマグヌス効果が発生していることを示したのは世界初であり、私の長年の疑問が解けた瞬間でした。これも、縫い目のあるボールの周りの空気の変化の様子をスパコンで時々刻々とらえることができるようになったからこその成果です」と青木さんは説明します。

図3ツーシームの乱流の解析

ボールの上下に縫い目がない状態のとき、揚力が負になる「負のマグヌス効果」が発生し、ボールが落ちるように働く。

大谷選手のフォークボールの謎も解明 The Mystery of Ohtani’s Forkball Unraveled, Too

次に、青木さんたちが挑んだのが、エンゼルスの大谷翔平選手や、2022年に完全試合を達成した千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手が投げるフォークボールの謎でした。彼らが投げるフォークボールは高速に回転しているにもかかわらず、より鋭く落ちているといわれていたからです。

青木さんは「球速が速くなるとボールの回転数は増えます。回転数が増えると縫い目の現れる頻度が増え、正のマグヌス効果が大きくなるので、ボールの落ち幅は減るはずです。しかし、実際にはより鋭く落ちている。これは、バックスピンではなくジャイロ回転をしているからではないかと私は推測しました」と話します。ジャイロ回転とは、進行方向と回転軸が一致するような回転のこと図4。バックスピンとは違い、ボールが1回転すると上下左右から受ける力がキャンセルされるため、マグヌス効果が発生しないと推測したのです。

図4ジャイロボールの回転

スクロールアニメ2ジャイロボールのシミュレーション

球速142km/h、1151回転のジャイロ回転で落ちるフォークボールの空気の流れを球の後ろから見たところを再現している。(スクロールすると動きます。シミュレーション動画は、富岳百景Vol.12のYouTube動画にも登場します)

「しかし、ジャイロ回転の場合、バックスピンよりもボールの周囲の空気の流れが複雑なことから、ボールの周囲の空間をより細かく区切り、球速や回転数、回転軸の向きなどいくつもパターンを変えて分析しなければなりません」。そこで、青木研究室大学院生のインイクイさんが、GPUスパコンである名古屋大学の「不老」TypeⅡサブシステム(CX2570)を使ったシミュレーションを実施。さらに、渡辺さんがコードをCPU向けに書き換え、スーパーコンピュータ「富岳」で詳細なシミュレーションを行いました。この研究では、MLBの公式試合球を3次元スキャンし形状データを作成したり、小林さんとともに乱流を解析したりするなど、インさんが大活躍しました。そのシミュレーション結果がスクロールアニメ2です。

このシミュレーション結果からは、ボールが1回転すると、空気の流れによる力は上下左右で相殺され、重力のみが残ることが確認されました。バックスピンによるフォークボールは、負のマグヌス効果があるにせよ、揚力も受けますが、ジャイロ回転するフォークボールには重力のみが働くため、鋭く落ちることが明らかになったのです。

さらに、青木さんたちは大谷選手のスイーパー(ホームベースを横切るように大きなカーブを描く球種)の解明にも挑戦し、新しい知見を得つつあります。

このように、青木さんの研究チームのシミュレーションにより、野球の変化球は、ボールの速度、回転数、回転軸の角度、そして、ボールの縫い目の効果によって生み出されていることが明らかになってきました。「今後、この研究成果をVR(仮想現実)やAR(拡張現実)と組み合わせることで、誰でも大谷選手の魔球を体験できる装置ができたらうれしいですね。そのような装置を使って練習した子どもたちの中から、第二、第三の大谷選手が登場するかもしれません」と青木さんは笑顔で語りました。

研究課題名:

回転するハイスピード野球ボールの空力解析(hp200070)
ジャイロ回転する野球ボールの空力解析(hp220063)

課題代表者:

東京工業大学学術国際情報センター 青木 尊之

研究者紹介

東京工業大学学術国際情報センター副センター長(先端研究担当)/教授 青木 尊之

流体力学を専門とする青木さん。学部時代には応用物理学科で、卒業研究から夢のエネルギーである核融合を研究し始めました。大学院ではエネルギー科学科に進み、理論・シミュレーションによる研究を行うようになりました。そのような中、東工大が世界に先駆けGPUスパコン「TSUBAME」を開発。そこで青木さんはTSUBAMEを使った流体シミュレーションを行うようになりました。2011年にはTSUBAME2.0を使った金属結晶の樹枝状凝固成長の数値計算でゴードン・ベル賞特別賞を受賞。現在はイルカの遊泳から大量の瓦礫や流木を含んだ豪雨災害や津波のシミュレーションまで幅広いテーマに取り組んでいます。そんな青木さんが今回、変化球をテーマに選んだのは、「複雑な豪雨災害の数値計算ができるなら変化球の数値計算もできるだろうと思ったから」。このテーマに取り組んだことで、趣味だった野球観戦の仕方が大きく変わったといいます。「もっとスローモーションをたくさん入れて、ボールの縫い目が分かるようにしてよ!と思うようになりましたね」。今後も研究の合間に野球観戦を楽しみたいそうです。

COLUMN Connect

COLUMN CONNECTは、計算科学の研究者によるリレー形式のコラムです。
研究者になったきっかけ、転機となった出来事、現在の研究内容などを研究者自身に綴っていただきます。

名古屋大学理論宇宙物理学研究室
日本学術振興会特別研究員PD

安部あべ 大晟だいせいさん

理想を追い求めて

研究者を目指すきっかけになったのは学部4年での研究室配属でした。当時の指導教員はとにかく楽しそうに研究や議論をされていて、私は「おれも混ぜてよ」などと思っていました。混ぜてもらうためにたくさん勉強をしたわけですが、その中で磁気流体力学(MHD)と星の形成に興味を持ちました。MHDはプラズマの巨視的な運動を記述する枠組みで、銀河中の大部分のガスの運動を解くことに使われます。宇宙と聞くと静かなイメージがありますが、実は宇宙プラズマは磁場との相互作用により激動しています。例えば星の形成過程ではMHD的効果で発生するアウトフローやジェットと呼ばれる激しいガス放出があります。星形成過程はMHDをはじめとする多様な物理過程を含んでいて非常に面白い上に、星はあらゆる天体の起源であり、その形成過程の解明は現代天文学の諸問題と関わりがある重要課題です。しかも星形成の研究は日本が古くから世界をリードしており脈々とその魂が受け継がれている分野でもあります。星形成の研究に魅力を感じた私は当該分野の一大拠点である名古屋大学大学院へ進学することにしました。入学当初は周りの高いレベルについて行けず辛かったのですが、幸運にも同期や先輩後輩、共同研究者に恵まれ、助けてもらいながらなんとかついていくことができました。大学院在学中は研究に熱中し結果もそれなりに出て非常に充実していました。

振り返ると、私の大学生活は「青春」でした。仲間に助けてもらいながら、自分の理想を追い求めて研究に明け暮れました。嵐の日もびしょ濡れになりながら研究室に通ったのを覚えています(絶対に真似しないでください)。研究者となった今、世界の第一線で活躍する研究者に混ぜてもらってとにかく楽しく過ごせています。

次回は学部時代に私と同じ研究室に所属していた友人で、高エネルギー宇宙物理学の研究に取り組んでいる京都大学基礎物理学研究所の上島翔真研究員にCONNECTしたいと思います。