vol.11
羽も胴体も使って飛ぶ
チョウの複雑な飛翔をスパコンで解析
菜の花畑を舞うように飛ぶチョウ。ひらひらと楽しげな姿とは裏腹に、チョウはとても複雑な動きで揚力と推力を得ています。「複雑な現象ほど解明したくなる」という鈴木さんは、空気という流体の中でチョウがどのように飛翔しているのかを数値計算で解明しています。火星探査やものを冷やす冷媒にも応用の可能性が広がるという研究をご紹介します。
チョウの独特な飛び方を計算したい
ドローンのような超小型飛翔体を開発するために、ハエやカの飛翔を解明する研究は、世界中で数多くなされています。「飛ぶために胴体を動かさないこれらの昆虫に対して、チョウは腹部や胸部も動かしています(図1)。つまり、チョウの飛翔をモデル化するには羽だけでなく、腹部や胸部の動きも計算に入れなければなりません。とても複雑でチャレンジングな研究です」と鈴木さんは説明します。
チョウは羽を打ち下ろして揚力を、後ろ方向に打ち上げて推力を得ます。そのとき、胴体の動きは羽の動きと連動しており、胸部の角度で羽を動かす方向をコントロールするといわれていますが、詳細はまだ分かっていません。
図1
モンシロチョウが飛翔する様子
鈴木さんたちが撮影した動画からのキャプチャ。羽を打ち下ろすときに、胴体が折れ曲がり、腹部が大きく上がっているのが分かる。このように、羽と腹部、胸部の運動を連動させながら1秒間に10回も羽を上下させる。
精度と計算量のバランスがよい「埋め込み境界-格子ボルツマン法(IB-LBM)」
チョウの飛翔を解明するためには、流体(空気)の運動と物体(チョウ)の運動をそれぞれシミュレーションするだけでは不十分です。空気中でチョウが羽ばたくと空気の流れが引き起こされ、その流れがチョウの運動に影響するというように、相互に影響するため、流体と物体の相互作用も計算しなければなりません。
鈴木さんは大学院生のころから、流体と物体が互いの運動に影響を与え合う系を、計算量を抑えながら精度よくシミュレーションする手法を研究してきました。流体と物体が相互作用する系の計算法はいくつかありますが(図2)、その中で鈴木さんが開発と改良に取り組んできたのは「埋め込み境界-格子ボルツマン法(IB-LBM)(図2e)」です。IB-LBMは、古くから知られている埋め込み境界法と、近年急速に発展している格子ボルツマン法を組み合わせたものです。
埋め込み境界法とは、流体の中で移動する物体を表現する手法で、物体の周囲(図2eの赤部分)に体積力という力を加えます。流体の速度を物体表面の速度と同じにするために必要な力を体積力として加えて、移動する物体を埋め込む場を用意するのです。チョウの飛翔に応用する際には、この場の中にチョウを置き、運動方程式に従ってチョウを動かしていきます。
一方、格子ボルツマン法は流体をシミュレーションする手法の一つで、流体を、直交する格子の交点(格子点)にしか存在できない仮想粒子の集合体として扱います。各粒子はいくつかの決まった速度で格子点間を移動し、粒子同士の衝突も起こると考えます。こうした粒子の分布から粒子の質量や運動量の平均をとることで、流体の密度や流速および圧力が得られます。
格子ボルツマン法は、水や低速な空気の流れのような非圧縮性流れに適用する場合、流体の運動を表すナビエ-ストークス方程式に帰着することが数学的に証明されています。格子ボルツマン法では、圧力を計算するためのポアソン方程式を解く必要がないため、計算量を抑えながら高精度の計算ができます。また、1つの格子点上の粒子の計算のために、隣接する格子点上の粒子の情報だけを使い、遠く離れた粒子の情報を必要としないので、並列計算に適しています。
「埋め込み境界法も、格子ボルツマン法も直交格子を用いる手法なので、組み合わせて使うのに相性が良いのです。どちらもアルゴリズムが比較的簡単でコードを書きやすいというのも研究には好都合です」と、鈴木さんは両者の組み合わせの利点を説明します。
鈴木さんは2012年に世界で初めてIB-LBMをチョウの飛翔に応用し、2013年にはシミュレーションの中でチョウを飛ばすことに成功しました。「初めは、ひっくり返ったり、逆走したりしてしまい、実際のチョウのようには飛んでくれませんでした。チョウの飛翔研究は他の研究者も取り組んでいますが、世界的に見ても、胴体も含めたチョウの動きと流体の動きを連動させて運動方程式を解いているのは私たちだけです」と鈴木さんは胸を張ります。
図2
物体と流体の相互作用を数値計算する手法の比較
(a) 計算したい物体と流体。(b) 物体の周囲を階段状に近似する方法。(c) 境界適合格子法。物体に沿った格子をつくる。(d) 非構造格子法。大小の三角形を組み合わせた格子を用いる。(e) IB-LBM。
(b) (c) (d) は物体が移動するたびに格子をつくり直すので計算負荷が高い。(e) は体積力の場を動かすだけでよいので、計算負荷を抑えて物体の動きを表現できる。
出典:鈴木康祐、日本流体力学会会誌「ながれ」第37巻第3号「埋め込み境界-格子ボルツマン法に基づく移動境界流れの数値計算法の開発とその羽ばたき飛翔への応用」。許可を得て図中文字を日本語化。
飛翔を解明する二つのアプローチ
鈴木さんは「トップダウンとボトムアップという、二つのアプローチで解析を進めています」と説明します(図3)。
トップダウンとは、実際のチョウの動きを計算モデルに落とし込む手法です。河原で捕まえたモンシロチョウを3方向からハイスピードカメラで撮影し、モーションキャプチャで形と動きを記録します。このデータから、チョウの計算モデルをつくり、流体の中で飛ばせます。その結果が図3aです。
逆に、ボトムアップは、単純なモデルから出発し、シミュレーションを繰り返しながら改良していく手法です。鈴木さんはまず、正方形の一組の羽と厚みのない棒という単純化したチョウのモデルをコンピュータ上で飛ばしてみました。その結果から、羽の形状や質量などの要因がどう飛翔に影響するのかを検討し、チョウらしく飛べるようにモデルに改良を加えてきました。こうしてつくったモデルによるシミュレーションが図3bです。
図3の二つのシミュレーションを比べると、ボトムアップで計算したチョウもトップダウンのチョウと同様にヒラヒラと飛んでおり、羽の後ろには階段状の渦構造ができています。ボトムアップ手法でもチョウの動きをかなり再現できているのです(図3b)。しかし、まだ課題もあります。チョウは腹部を上下することで胸部の角度を調整しているという説がありますが、ボトムアップ手法でその調整を計算に入れると、実際にはあり得ないほどの角度で腹部を振ってしまうのです。そこで、図3bの計算では、胸部の角度は実験データから得た値を入力して、腹部の動きによる胸部の動きの制御は入れずに計算しています。
「ボトムアップ手法では、モデルを改良する中で、チョウの飛翔を再現するために必要な最小限の要素を明らかにすることを目指しています」と鈴木さん。ボトムアップとトップダウンの飛び方を近づけていくことで、「チョウの飛翔とは?」を解明しようとしています。
図3
スーパーコンピュータで解明したチョウの飛翔の様子
(a) トップダウンのアプローチ。実際のチョウの形状や動作を忠実に模擬したチョウの計算モデルを用いて飛翔をシミュレーションした。(b) ボトムアップでつくった計算モデルを使ってシミュレーションした。
シミュレーションで得られた図は、チョウの後ろにできる渦の変化をたどったもの。
鈴木さんは、HPCIのスーパーコンピュータ(スパコン)のうち、京都大学のシステムA(CRAY XC40)や、名古屋大学の「不老」TypeⅠサブシステム(FUJITSU FX1000)を使用して、これらの計算を行ってきました※1。自前のコンピュータクラスターも使用しますが、計算すべき要素が増えてくるとスパコンの計算力や大きなメモリが必要になるからです。
「不老」を選んだのにはスーパーコンピュータ「富岳」の互換機だという理由もあります。開発してきた手法を、計算能力の高い「富岳」で使うチャンスが訪れたら、どのような計算をしてみたいのでしょうか。鈴木さんは、「現在は、計算量を減らすために、レイノルズ数※2を少し下げ、実際よりもチョウの羽ばたきをゆっくりにして計算をしていますが、いずれは実際のレイノルズ数で計算したいです。また、チョウの羽の筋や鱗粉も飛翔に影響すると言われています。今は、これらを計算に入れていませんが、これらの要因も入れた計算もしてみたいです」と抱負を語ります。
応用の可能性は小さな氷の粒から火星探査まで
鈴木さんは、チョウの飛翔以外の現象にもIB-LBMを応用する研究をしています。その一つは、優れた冷媒になると期待されている「氷スラリー」。小さな氷の粒を水に分散させたものです。IB-LBMを応用して氷の流れと水の流れの相互作用を計算し、効率よく熱交換するためにはどのような氷スラリーが適しているのかを検討しています。
一方で、チョウの飛翔研究を発展させることも考えています。ハエの飛び方を模したドローンのような超小型飛翔体は、ひとたび姿勢を崩してしまうと、瞬時に姿勢を回復するのは苦手です。胴体を振りながら姿勢を回復しているチョウの飛翔モデルを解明できれば、姿勢を崩しても瞬時に回復して飛び続ける飛翔体を開発できるかもしれません。
また、火星の大気は地球大気よりも密度がずっと低く、レイノルズ数も下がりますが、地球上で使われる固定翼の飛行機は高レイノルズ数の条件で設計されているため、火星で飛ぶのは困難です。そこで注目されているのが昆虫の飛び方です。「私の研究を発展させて、火星環境に適した飛び方を大規模計算してみたいですね」と鈴木さんは未来に夢を広げています。
研究者紹介
昆虫の形に魅せられて虫採りをしていた鈴木少年は、いつしか数学や物理が好きになり、大学では航空宇宙工学を専攻しました。「『飛ぶ』ということがどのような理論で説明できるのか知りたかったのです。流体工学、プラズマ工学、電磁気学などを使うと深く理解できることに感動しました」。研究を始めると、単純な流体工学では説明できない複雑なものを解き明かしたくなり、その応用先は飛ぶ昆虫「チョウ」に。早朝に学生と共に河原に行き、葉の裏側で寝ているモンシロチョウを採取するそうです。趣味は日本酒の利き酒。造り酒屋の多い長野で、造り手や製法に思いを馳せながらお酒を楽しんでいます。
研究課題名:
大規模並列計算機を用いたIB-LBMによる昆虫の羽ばたき飛翔解析
(hp210037/ hp220037)
課題代表者:信州大学工学部機械システム工学科 鈴木 康祐
気まぐれな情熱
思い返してみれば、私自身は惑星科学に対する特段大きな興味があったわけでもなく、軸になるような情熱があったわけでもなく、ただただ目の前の面白そうなことに打ち込んでいたら大学院時代も含めて10年間も学術研究に携わり続けていました。
学部時代に最も楽しかった授業はC言語プログラミングの授業でした。名古屋大学時代の研究室に入った理由はまさにこれで、プログラミングで自作シミュレーションコードを作成して研究できるからでした。学部では流体力学のシミュレーションコードを自作しましたが、この時が人生の中で最も楽しく3連休でも大学に通い詰めるくらいに打ち込んでいました。修士ではコードを岩石のような固体に拡張する傍ら、課題となっていた数値不安定性に関する研究を行いました。博士以降は現在に至るまでこの自作コードを用いて小惑星同士の衝突や形状変形に関するシミュレーション研究をしています。最近は小惑星関連かつ自らのコーディング技術を活かせる仕事として、すばる望遠鏡の膨大な数の画像から小惑星を効率的に見つけることのできるウェブアプリの開発に携わっています。
こうして見てみるとやってきたことに一貫性がないのですが、その時々の課題には情熱を持って楽しく取り組んでいたように思います。そしてその時々の課題を通して得たさまざまな知識や技術は確実に自分のものになったと思います。「好きこそ物の上手なれ」とは私の好きな言葉なのですが、例え一貫性がなくてもその時々で楽しいと思えることに情熱を注いで頑張っていれば、結果や知識は自動的についてくるものなのかもしれないなと若輩ながら思ったりしています。
次回は私の名古屋大学時代の研究室の後輩であり、星間媒質の磁気流体力学的挙動のシミュレーション研究を行っている、名古屋大学理論宇宙物理学研究室の安部大晟(だいせい)さんにつなぎたいと思います。